プライバシー 「to be let alone」 まとめ


プライバシーは秘密の下位概念であった時代から、サロン文化、ジャーナリズム、印刷技術、通信技術の発展など並行しておこった時代の変化いわゆる産業革命によって、20世紀にはいよいよ「プライバシーの権利」としてどう考えていく必要があるのか、という流れになっていることを確認してきました。


プライバシー意識が芽生えはじめたこの頃の事に関して、人権闘争の歴史という立場では「産業革命における市民社会の拡大」という言葉で、ミシュリン・R・イシェイが大著「人権の歴史」の中でまとめています。

大英帝国によって導かれた新たな商業的、技術的発展は、ヨーロッパの社会的景観に変革をもたらし、国家、市民社会そして私的分野のバランスを変え、人権論争に新たな場を提供することになった。


産業革命「国家」市民社会そして「私的分野」のバランスを変えた。そしてIT革命もまた、さらにこのバランスを変えていると考えていいのではないかと。イシェイは同著書で、グローバル化の進む現在の状況をこう言っています。

市民社会グローバル化か、それとも私的分野への挑戦か


プライバシーを巡る問題の数々は「私的分野への挑戦」であると。人権闘争の眼差しから彼がプライバシーについて「私的分野への挑戦である」と書いているのは興味深いところです。


さて、20世紀中盤までに欧米の各国そして日本では「プライバシー」をめぐる法的な判例を、複数生むようになってきました。しかし、権利としては常に事例として追いかけていく作業が続いていました。
法理論として今にも影響を与える形では、ようやく1960年に法律学者のウイリアム・プロッサーがプライバシー権侵害の4類型」の論文を発表し、これが最初となります。


ここでもまだプライバシー権を分類することを避け、侵害について分類したものであり、法理論としてプライバシーを扱う難しさを表しているともいえます。

1.個人の隠遁や孤独の侵害、又は私事への侵入
2.個人の、恥ずかしい私的事実の公開
3.個人を、誤った印象で公衆の目にさらすパブリシティ
4.個人の名前やその他を、他人の利益のために利用する(他人の氏名や肖像を営利目的のため無断で使用すること等)


20世紀中盤までの判例をまとめたこの分類は、プライバシー侵害に対する指針として現在もその役割を果たしているようです。1と2に関しては「The right to be let alone」の括りでしょうし、3は「名誉棄損」、4は「パブリシティの権利」とそれぞれ考えてよいと思います。


情報通信技術の時代に入る以前までを、ここまでまとめてみました。あくまでも権利としてのプライバシーは、100年くらいの歴史しかもっていないのが確認出来たわけだけど、イシェイが書いたようにこの権利を追及することはいよいよ人権にとっても「私的分野への挑戦である」ということです。


1980年。プライバシー・ガイドラインOECDから発表されます。次はその辺りからになります。


※参考==============================

人権の歴史 ミシェリン・R. イシェイ 明石書店 (2008/5/30)

プライバシー 伝統的権利 日本


日本では1961年の「宴のあと」裁判がプライバシーの権利をテーマとした最初の裁判です。
1960年に新潮社から単行本として刊行された小説は、政治家であった有田八郎と再婚相手をモデルにしたものでした。有田はプライバシーの侵害であるとして起訴し、プライバシー権を認めた上、プライバシーの侵害を肯定し勝訴することになります。この時の石田裁判長の判決は以後の日本におけるプライバシーに関する法的な礎となった、ということなので、大事な点をまとめておきます。

「私事をみだりに公開されないという保証が、今日のマスコミュニケーションの発達した社会では個人の尊厳を保ち幸福の追求を保障するうえにおいて必要不可欠なものであるとみられるにいたっていることとを合わせ考えるならば、その尊重はもはや単に倫理的に要請されるにとどまらず、不法な侵害に対しては法的救済があたえられるまでに高められた人格的な利益であると考えるのが正統であり、それはいわゆる人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではないと解するのが相当である。」


私事をみだりに公開されないという保証は、一つの権利と呼ぶことが出来る」とまとめています。


1.公表された事柄が私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある事柄であること(私事性)
2.一般人の感受性を基準にして当該私人の立場にたった場合公開を欲しないであろうと認められる事柄であること
 → 一般人の感覚を基準にして公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること

3.一般の人に未だ知られていない事柄であること(非公知性)


作家と公的な自分の間で争われたこの裁判ではプライバシーの権利をめぐって以下の問題が争点となっていました。
・芸術的価値
言論の自由
表現の自由
・公的存在


ここではこれらを否定する判決となりましたが、プライバシーを考える時、同時に考えなければいけないこととして上のようなものがあることは現在も同じです。


ただ、この後の裁判例は得にこの判例に従っているわけではないので、先例的な価値はそれほど高くない、としながら升田先生は次のように書いています。

この判決以前には、米国のプライバシーの権利に関する理論の紹介、発展の歴史、裁判例などが紹介されていたが、この判決によって日本においてもプライバシーの権利をめぐる議論が本格化したといってよい


米、欧州、日本と法的概念が本格化する最初を見てきました。「the right to be let alone」は伝統的プライバシーとして、自己の内面(心)や私事から意識が育っているのが分かります。また個人から考えた場合にその侵害の相手は、マスメディアである事例から多くがはじまっている事もまた確認できました。そしてアメリカでは国家による盗聴なども最初の次期に問題となっていました。


この後、プライバシー問題は情報通信技術の発展によって、現代的プライバシーとして「積極的プライバシー権」や「自己情報コントロール権」、またキーワードとして「データプライバシー」や「ネットワークプライバシー」などと新しい言葉が生まれるようになってきます。



※参考==============================
現代社会におけるプライバシーの判例と法理―個人情報保護型のプライバシーの登場と展開 升田 純 (著) 出版社:青林書院 (2009/10)

プライバシー 伝統的権利 イギリス


次のヨーロッパの歴史を見てみたいのだけれど、飯塚和之先生の1987年の論文「イギリスにおけるプライバシー保護法論」をまずは参考にさせていただきます。

http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/handle/10252/1714


これを読んでまず分かるのはヨーロッパ各国はアメリカに倣って「プライバシー権利概念」が確立してきたということです。しかしその事実は、プライバシー意識が遅れていたとは言い難く、その理由として個人主義文化が基本として育っていたことがあげられる、ということです。倫理的にプライバシーが尊重される文化がある程度育っていた、と言っていいのかもしれません。

イギリスには,「イギリス人の家は彼の城である」(An Englishman's house is his castle)という有名な諺が存在する。これは個人のプライバシーに対する尊重の習慣が,イギリスの伝統であることを示す言葉と理解することができる。


論文の最初に書かれている一節です。ドイツ、フランスなどの例を上げながら、20世紀の中盤にヨーロッパでもプライバシー権が議論されていることが紹介されてます。そして「データプライバシー」としての立法化が進んでいくと。興味深いのは、プライバシーの権利が「名誉棄損」の問題と別の権利であるとして議論されていたところですね。そのうち各国の詳細をもっと調べられたら紹介します。

W&Bの論文ではイギリスでの判決を幾つか紹介しています。つまりアメリカとイギリス含め欧州は相互作用を起こしながらプライバシーの権利概念が出来上がったと言えそうです。簡単にイギリス法廷で引用された4つの起訴案件をまとめます。その中で最も古い1824年の「アバーネシー対ハッチンソン事件」からになります。


引用元は全て石井夏生利先生の「個人情報保護法の理念と現代的課題」です。


★アバーネシー対ハッチンソン事件(1824年)

・概要
外科医のアバーネシーが行っていた口頭講義を、ハッチソンらは「ランセット」という定期刊行雑誌に掲載し販売していた。その行為に対して、出版、再販の差し止めを要求する。

・争点
1.財産権(著作権)に基づく差し止めが認められるか?
2.黙示契約違反・信託違反に基づく差し止めが認められるか?

・判決
申し立てを認める。
1.について:口頭での意見や言葉(紙に残らない)に対して財産権は未だ判断出来ない
2.について:契約又は信託違反を理由とするまさにこの申し立てに許可を与える。

「受講した生徒の側に計約違反があり、その生徒が営利目的で公開出来ないとすれば、その行為は確実に、当裁判所が第三者の詐欺と呼ぶものになる」
「これらの講義が、生徒から取られたものでない場合、少なくとも被告らは、裁判所が公開をゆるさないような方法で、公開手段を得て、講義内容を入手した」


信託違反は「breach of trust」の役とされています。現在のプライバシー権において「trust」は一つのキーワードになっていますが、財産権の救済法理として使用されていたのが分かります。


アルバート公対ストレンジ事件(1848年)

この判例をW&Bは最も論文内で引用しています。ヴィクトリア女王と夫のアルバート公は、趣味で線描やエッチング版画を作成していました。被告のストレンジは何らかの方法で版画を入手して利益を得たと。そしてこの裁判では何度か「プライバシー」という言葉が判決理由に登場しています。

下級審でのナイト・ブルース卿は以下のように言っています。

本件被告の行為は「無作法で著しい不法侵入」「家庭生活のプライバシーへの卑しい偵察行為」である


★タック対プリースター事件(1886年)

原告はロンドンの美術出版社で、芸術家から水彩画の著作権を購入。被告であるベルリンにある印刷事業者に2,000枚の印刷を依頼しました。この印刷事業者は他に多くの写しを作成し利益を得ました。


最初の争点は原告は1886年著作権を登録していて、被告が複写をおこなったのが1884年であった事でした。これは著作権のないものを複写して利益を得ることに対して救済をもとめる権利はない、との判決になりました。しかし上訴後の判例は違ったものになっていきます。その判決の中でW&Bが引用した部分です。

原告らが何らかの著作権を持っていたか否かにかかわらず、被告は、差し止め命令の責任を負う王位を侵したという関係があると思われる。彼は、一定数の絵の写しを作成するために、原告らに雇われた。そして、その雇用には、被告は自らのために、それ以上の写しを作成したり、その追加的写しを、雇い主と競争ながらこの国で販売してはならないいう暗示が、必然的に伴っていた。彼の側のそのような行為は、甚だ契約違反であり、甚だしい信頼違反である。そして、私の判断は、当該絵画に著作権を持つか否かにかかわらず、明らかに、原告らに対し、差し止め命令を求める権利を付与するというものだ


この意見には「信頼違反」というプライバシー権を考える時に現在重要である考えが入っています。


★ポラード対フォトグラフィック社事件(1888年)

原告のポラード夫妻は、写真やで家族写真の撮影をしたけれど、被告であるその写真やは、クリスマスカードとして原告の写真を使用して、利益を得ていたと。この判例は「肖像の無断利用」が問題となっています。

顧客と写真師の間の契約には、黙示的に、そのネガから取られる印画は、その顧客が利用するためだけに占有されるべき、という合意が含まれている。


これらのイギリスでの判例を論拠にしながらW&Bの論文は書かれています。これらを確認してみると、少なくてもイギリスでは財産権(著作権)が基本となってプライバシーが考えられてきたと言えます。そして財産権の救済として「信頼違反」という言葉がキーワードになっていたのが分かります。


※参考==============================

個人情報保護法の理念と現代的課題―プライバシー権の歴史と国際的視点 石井 夏生利 (著) 勁草書房 (2008/5/26)

プライバシーの誕生と情報技術2


次に1890年の法的概念の誕生であるW&Bの論文が登場した背景を見てみたいですね。
しかし、この論文には大事だと思われる背景が幾つかあります。right to be let alone はトマス・M・クーリー裁判官が書いた「不法行為法論」から引用している、ということが一つ。もう一つは、論文内で参考にしているのはイギリスの幾つかの判例である、ということです。つまり19世紀後半に書かれたW&Bの論文は18世紀から19世紀にかけての生活環境の変化や、イギリスで新たに問題となってきていたものから書かれているのであり、時代的な背景を考えるには18世紀あたりからのイメージをしていく必要があるということです。


クーリー裁判官が書いた「不法行為法」は1880年に書かれています。それから引用されているイギリスの判例は、1824年、1848年、1886年1888年のものであるので、最も古い裁判は1824年のものとなります。これを踏まえると18世紀後半あたりから、世界で何が起こっていたかを見ていく必要がありそうです。でもこの頃って技術の進化が一気に急速になっているので、これが原因!!と一つだけあげるのは無理がありそうです。そこでなるべく象徴的と言っていいのではないか、と思われるものを拾っていきます。


★18世紀中盤

・サロン文化の登場と一般化
 人々が集まって時事ネタや文化的な会話を楽しむようになってきた。2ch文化のはじまりですか。
・書籍印刷文化
 書店や出版社が誕生します。そして新聞の刊行もスタートします。
・電気通信への夢が語られる
 1753年、スコットランドマガジンの記事で署名「C.M.(たぶんチャールス・モリソン←責任は私)」で「電気通信方式の提案」が書かれました。電信の歴史は以下のページに詳しいです。
 http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/intercomp/molstelegraph.htm
・レイアウト
 活字レイアウト技術の登場。
・イギリス産業革命アメリカ独立宣言


★18世紀後半

フランス革命
・カント、ベンサムの登場
・レストランの誕生
・ロンドン「タイムズ」創刊
モーツアルトの活躍
・ナポレオン時代
・クロードシャップのテレグラフ光通信
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%95%E6%9C%A8%E9%80%9A%E4%BF%A1
・木版の充実。日本では浮世絵。


★19世紀前半

・乾電池の発明
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%BF%E9%9B%BB%E6%B1%A0
・楽譜の出版
・新聞(アメリカでは150紙あったそう)
・フランスで「食通、美女通信」
・コールリッジが週刊誌を創刊「フレンド」
フーリエフーリエ級数を提示
輪転印刷機の登場
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E8%BB%A2%E5%8D%B0%E5%88%B7%E6%A9%9F
グリム童話集、ゲーテ北斎漫画など
・秘密結社の流行!!
・フレネルが「光の解析」を発表
・ウイリアム・トムソン「富の分配原理に関する一考察」発表
バベッジ「数表の計算に対する機械の応用について」発表
・鉄道開通(時速48キロ)
・「フィガロ」創刊
・産業資本家の登場
ユークリッド幾何学
・鉄建築(ルノアール


★19世紀中盤(30年〜50年)

・サミュエルモールス 電信機を発明(モールス信号)
世界恐慌
印象派、色彩論の誕生
マルクス資本論
ガウス幾何光学理論
バベッジ、プログラム内蔵の汎用機考案
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%B8
・最初の電信機完成 ワシントン〜ボルティモア
 「神の創り給いしもの」
 http://www.ffortune.net/calen/kinenbi/10/densindenwa.htm
・男女共学 → 女性専門学校
・AP通信社設立
・多色木版登場
・カメラ登場!
ニューヨークタイムズ創刊
・ロイター通信社
・シュウツの計算機
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%83%84


★19世紀中盤(50年〜80年)

・スペンサーの心理学
ダーウィンの進化論
・キルヒホフとブンゼンの分光器
・ヒューズの印刷電子機
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BA
・百貨店の登場
ホイットマン「草の葉」
南北戦争
・労働運動
・フィリップヘイズ 電話の発明
・脳研究はじまる(ポール・ブローカ
・JPライス 電話原理を発表
・横浜に写真館
・外国郵便はじまる
・ロンドンで浮世絵展
ロンドン地下鉄
モンテカルロで初の「カジノ」登場
薩長同盟
・メンデルの遺伝学
・大西洋に海底電線、ケーブルの施設がはじまる
・ジャパンタイムス発刊
・レクラム世界文庫
明治維新
・イギリスで電信を国有化
福沢諭吉 版権概念の主張
・DNA発見(フリードリヒ・ミューシャ)
・自動車「安全号」(ジョン・ケンプ・スターリー)
・印字電信機械(エジソン
・パルプ原料の製紙が登場
・新聞の輪転印刷化
・世界一周(80日間)J・ヴェルヌ
・読売新聞創刊(1874)
・ベルの電話
・電球の登場(エジソン
ソシュール言語学
朝日新聞創刊(1879)
エンゲルス「空想から科学へ」


自分の記憶とWeb上の歴史ページ、松岡正剛氏の「情報の歴史」などからだいたい年代順になってると思うんですが、勢いでまとめました。違和感のある情報があれば連絡いただけるとありがたいです。
情報通信技術は色つけて太字にしてあります。このような背景の中でW&Bの論文が出たんですが、15世紀からここまでの間に人々の中で「プライバシー意識」が芽生え、育っていったと言えます。参考までに歴史的な背景を紹介してみました。

プライバシーの誕生と情報技術1


1400年代に秘密の下位概念として「プライバシー」がワードとして登場したわけだけど、生活様式の変化が新しい言語を生むならば、この頃おこった変化はどのようなものだったのでしょうか。


世界史においてこの時代のテーマはルネッサンスです。現代の情報技術的な視点でこの時代を眺めるならば、「印刷技術の登場」があげられます。もう一つ「グローバル」という視点で見ると、「航海術」が飛躍的に高まったのが、この近代の幕開けと呼ばれる15世紀におこったことになります。


★情報を集める


人類はここから情報を集める、という作業を本格化させていくこととなります。「情報」を集める、「情報」を発信する、人間が情報に価値を置き始めた、という点で注目出来ることが二つあります。


1.永楽大典(1408年)

永楽大典(えいらくたいてん)とは、中国明代に編纂された中国最大級の類書のことである。22,877巻・11,095冊・目録60巻、1408年(永楽6年)の成立である。
WikiPediaより)


この書籍は「経・史・子・集の四部から、天文・地誌・陰陽・医卜・僧道・技芸に及ぶ、あらゆる図書を原本によって蒐集している。」ものであり、現代的には「情報ポータル本」と言っていいでしょう。


2.図書館

 大規模な図書館で公共のものとしては最初と呼ばれる「マルチアーナ」に始まって、ウィーン図書館、ヴェッサリオン、ヴェネチアと各地で書籍を集めて、一般に公開するようになっていきます。マルチアーナ図書館は以下のブログに詳しいですね。
 
http://leonidivenezia.blog65.fc2.com/blog-entry-140.html


 その後、聖マルク修道院図書館が中盤に出来て、大学図書館が登場しはじめます。
このころの日本の事を少し調べていたら、世阿弥の「花伝書」が登場するので、文化的には世界と並んでいたのだな、と改めて感慨にふけることになりました。この花伝書も編纂ものなので、まさに情報を集める作業です。


★情報をコピーする


次の注目する点としては印刷技術の登場です。15世紀の初めは製紙工場がベルギーに登場し、後半にはイギリスで建設されています。暗号理論とステガノグラフィの父である、「ヨハンネス・トリテミウス」の活躍はこの頃です。Wikipediaには書いてないけれど、このトリテミウスは7000冊の書物をビブリオグラフィとしてリスト化した人物でもあります。


14世紀に木版の技術が生まれて、15世紀にはいよいよ活版印刷の時代となります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%BB%E7%89%88%E5%8D%B0%E5%88%B7


WikiPediaの情報を見ると分かるように、中盤にグーテンベルク活版印刷が登場したことが有名ですが、実は中国では13世紀には活版印刷技術があったことが分かっています。その後イタリアでは最初の印行本「キリストの受難」が発行され、アウグスティヌスの「告白」が印刷刊行や、挿絵入りの本がドイツで出版されたりと急速に印刷技術は産業化が進んでいきます。


イギリスでもウイリアム・カクストンが印刷所を設立し、地図の印刷なども行われるようになっていきます。最初の世界地図も誕生します。もう一つ注目出来ることとして、16世紀の初めにイギリスで郵便制度が出来た事などがあげられるかと思います。


こう見てみると、「プライバシーは印刷技術と通信技術の誕生」によって一緒に誕生した言葉だと考えて間違いなさそうです。大学が登場し発展した時代でもあるようで、さらに印刷技術の発達によって文字の講義や、文学の講義がはじまった記録が各学校で見受けられます。もちろんその事がルネッサンスを生んだわけで。


日本でも足利学校の登場がこの頃のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%AD%A6%E6%A0%A1

みんなのプライバシー 21


>トップアイドルだからといって、未成年のプライバシーを暴くことが一流週刊誌の報道すべきことだとは、とても思えない。あ、一流じゃ無いのか。


昔の彼女を売るような男が一番しょうもない。この発言ももっともなので、二番目にしょうもないのが一流じゃない週刊誌。


>たくさんうれしいお言葉ありがとー!まおちゃんの言い間違い(プライバシー→ボラギノール)がツボ過ぎて…w 本日お待ちしておりますー!


すごい!!「プライバシー」を「ボラギノール」と間違えるか?!
ま、確かにボラギノール持ってたらプライバシーになるかなぁ。。。


>【話題】 大阪市労連 「入れ墨やタトゥーは個人の表現の自由であり、幸福追求権、人格権の一発露であり、プライバシーである」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1340152045/ → じゃ、なんでお風呂じゃ刺青禁止なんだ?格闘技選手でさえ、お風呂入れないぞ・・・。


えらい、よく言った。
これは僕もホントに嫌ですね。刺青入れるのを「表現」だとっ!!って感じです。少し語らせてもらうけれど、渋谷にある友人の昔お店は壁に龍の絵が描かれてたんだけれど、その絵は彫り師の人が書いたものでした。何度か僕もその人と呑みながら話を聞きました。刺青はその人の生涯に絵を掘るものだから、精神的なストレスがものすごいという話で、普通の人は全員断ってたそうです。その人は30歳過ぎから彫り師として活動してたんだけど、35歳で責任の重さにやめてしまいました。気のきいた彫り師なら、ちゃんと客も選ぶんですよ。
それからもう一つは、音楽仲間であった女子が足(ふくらはぎ)にファッションとして刺青を入れてたんですね。30歳をまわった頃に結婚する相手の両親に会う、という時、ファンデで隠して会いに行きました。会いに行く日のお昼に一緒に食事したんだけど、旦那に申し訳なくて辛い、という話をしてました。わずかに見える刺青を見た時はなんともいえない気持ちになりました。

将来刺青などそれほど大きな問題にならないのかもしれないですが、今はまだまだダメだと言いたいですね。別のブログにも書いたけれど、ヒッピー生活をまず3年はやってほしい。その後もそのスタイルで生きていくのなら、象徴として刺青を入れればいい。


>共同体として生きた日本人は戦後プライバシーを知った為、壁を高くして他人をさえぎった。いつの間にか心も閉ざしてきた。他人に踏み込まれるのを拒むのは自分崩壊への危機感や嫌悪感。でも自分の事すら知らないのに他人に立ち入られるとプライバシーが顔を出す。なんかちょっと違う気がするんだよね。


特に日本だけの話ではないんですけどね。「プライバシーは自分を守る」ためにあるのはいいとしても「自分崩壊」というのは大げさかと思います。
つぶやきからは離れるけれど、プライバシーの発露が「心」である、というのは伝統的プライバシーの話です。現在守るべきプライバシーは「情報システムの中にある」と考えられます。つまり「自分で自分を守るためのプライバシー」とはまったく別の危機意識を持つ必要があり、それは「情報システムの中にある自分のプライバシー」を守る必要がある、ということです。


>【ジョニデ破局】ジョニーの広報は、「ジョニー・デップヴァネッサ・パラディは友好的な別れを選びました。彼らの、とくに子供たちのプライバシーの尊重をお願いします」と声明を発表。


うう、ジョニデも破局ですか。有名人のプライバシー対策として、この広報のように、自分からプライバシー問題を晒してしまう、という流れが出来上がりました。日本でもブログで破局を伝えたり、恋愛、結婚をファンに報告するようになっています。
あたかも有名人は自分で自分のプライバシーを暴露してるように感じますが、本質はプライバシーを守る戦略として一般化してきたのであろう、と感じています。
マスメディアにセンセーショナルに発表されるくらいなら、自分から発表しちゃおう、と。ジョニデも「子供たちのプライバシーを尊重してください」とマスメディアに先手を打っています。


>もっとも、プライバシーポリシーと特定商取引法に関する表記は分かりやすく表示すべきだけどね。


いや、ホントにね、一般の消費者がわかるように書かれてないんですよ。どうにかしたいと思ってます。いや、今はまだどこで何が出来るか分からないんですが。。。


>それを業界内でちゃんと議論せずにいきなり国会に持ち込んで刑事罰化なんていうから怒っても(そして怒られても)当然だとも思っています。刑事罰化は音楽業界だけの問題ではなく、別件逮捕の温床だし、プライバシーにも大きくかかわります


ちょうど本日、津田さんが参考人として意見したものがTLに流れました。
「個人がダウンロードする(出来てしまう)という行為」と「刑事罰」とのアンバランスに尽きるのかな、というのが現在の率直な僕の意見です。


>声かけてきて思う存分誉めてきて…っつうのは100?化粧品会社だな!毎回思うが働いてる場所まで聞いてくるのはプライバシーの侵害だから!まぢ腹立つわ…うぜ


あ、なるほど。店頭営業の絡みかたっていうのもずいぶん変化してきているかもですね。


>最近は会社寮の事をシェアハウスと言いかえるのか…プライバシー命で隣人に恵まれなかった私には、学生時代のシェア生活は最低でした @ サイバーエージェント、社員向け「シェアハウス」 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD190BJ_Z10C12A6TJ2000/ 寝る間を惜しんで働け!CAの社員洗脳凄い


空き家なんかをうまく使うと、結構プライバシー的にも納得出来るレベルの個人空間があったりするんですよね。その生活している人、直接自分の周りには二人しかいないけれど、話を聞いてると既にかなり一般化してますよ。


>プライバシーもくそもない 悪いことしたよ でもこんなん今までだっていっぱい影で起こってたはずの話やん Twitterに頼ってんなカス 消えてまえ まーもうすぐわたしもTwitterから消えますノシ


友人とのケンカでしょうか。twitter上でなんかブツクサ言われたんですかね。何て言うか、お互い所詮ブツクサと思っていればいいのに、と思うけれど、それなりに人のツイートが気になるのも確かですよね。ここはチキリンさんみたいに「ユルク」いければいいのに、と思います。


>よく… わか… らん… プライバシーっていうなら、見せなきゃいいんじゃないの。個人的には目に入らなければ、特に気にしないけど。


見せたくないものなら机の上に置くなと。この気持ちは最もなものですね。わけ分からんデスクトップにするな、というのもあって、資料の確認のためにたまたまPC覗いたら妙な二次元画像があるとちょっと引いちゃうんだけれど、本人が気にしてないからリアクションも取りずらいし、ホントそれ隠して。


>マンションの管理人や管理会社が管理している建物の居住者の交友関係に無闇に近づくのはご法度である。その逆は可でいいのかな?もし心配な事があるなら管理会社が警察を通じて捜査を依頼すべきで個人で居住者の関係者に連絡する必要はない。プライバシー侵害及び過干渉である。挨拶だけくらい関係で。


この人は女性でマンションの管理人にどうもゴミを見られてる気がして気持ち悪い、みたいなツイートが幾つかありました。女性だとそこまで気にするものですか。入り口で会う時の印象なんかもあるのかな。

プライバシー 伝統的権利 米国


Wikipediaの「プライバシー」を見ると分かる通り「古典的プライバシー権」という言葉で、「the right to be let alone」が語れることがあります。古典的な権利として流れを確認するにあたり何が大事かを考えたいのだかれど、このブログでも個人として一番最初に紹介した Tim Mather の言葉を思い出してみます。

プライバシーに対する考え方は、国、文化、法律によってかなり違いがある。プライバシーは国民の期待と法の解釈によって形作られるものであり、不可能とまでは言わないが、明確に定義するのが難しい。


「国民の期待」「法の解釈」の両面がプライバシーを考える上で必要である、と言ってます。大きな流れとしてテクノロジーによってプライバシーは翻弄されている部分があるので、印刷技術や電話といったものの登場によって先進国では同じような個人の危機意識は誕生するものの、国によって食生活が違うように、また国によって生まれる音楽が違うように、プライバシー権利概念もまた国によって独自の成長をとげています。


簡単ではあるけれど、具体的に確認してみます。


W&Bの「the right to be let alone」は1890年に米国で登場した論文です。1902年にロバーソン事件という、女性が印刷物に自分の顔が掲載されてプライバシーを侵害された、という起訴がおこります。

http://www.lawnix.com/cases/roberson-rochester.html


これを見ると、前例がない事からプライバシーの権利性は一旦否定されてます。次は岡村久道先生の著書「個人情報保護法」からの抜粋になります。この著書で岡村先生は古典的ではなくて、「伝統的なプライバシーの権利概念(マスメディアプライバシー)」という表現を使っています。プライバシーの概念は時代と共に「変化している」のは確かだけれど、「広がっている」というイメージを僕は強くうけています。
それを考えると上書きされ消えてしまう感じがする「古典的」という言葉より、コアなイメージとして印象が残る「伝統的」という言葉のほうが現実的、また実際的であると思えます。なのでこのブログでは岡村先生が使用している「伝統的」という表現を使用させていただきます。

本判決に反発した世論を背景として、ニューヨーク州議会は翌1903年に州法を成立させ、これがプライバシーの権利を承認する初めての制定法となった。


論文の登場から世論のプライバシー意識も具体的になっていったのでしょう。その後、ジョージア州でもペイブジック事件という、無断で写真を広告に使用された個人がその保険会社を起訴し、幸福追求権を根拠としたプライバシー権が承認されます。

http://faculty.uml.edu/sgallagher/pavesich_v.htm


米国の具体的な判例としては、このように個人対企業の図式で権利がスタートしています。


ところでW&Bの論文の話です。
ウォーレンは実業家でした。そして奥さんは上院議員の娘。ということで派手な生活が地元ボストンの新聞などで紹介されてずいぶん嫌な思いをしていたようです。そこで友人の弁護士ブランダイズに相談したことがきっかけでこの論文が完成しました。ブランダイズはその後、最高裁の裁判官として迎えられることになります。


話はそれるけれど、ジョブズにはウォズニアックがいた。ゲイツにはポール・アレンザッカーバーグはショーンパーカーと出会い、ラリー・ページとサーゲイ・ブリンが一緒だった。米国で大きい仕事は「ペア」のイメージがありますね。
日本でペアというと井深大盛田昭夫ですか。他は一人のイメージが強い。この辺りちょっと興味持ってます。



※参考==============================
個人情報保護法 岡村 久道 (著) 商事法務 (2004/11)

情報化時代のプライバシー研究 青柳 武彦 (著) エヌティティ出版 (2008/4/25)

個人情報保護法の理念と現代的課題―プライバシー権の歴史と国際的視点 石井 夏生利 (著) 勁草書房 (2008/5/26)