プライバシー 伝統的権利 イギリス


次のヨーロッパの歴史を見てみたいのだけれど、飯塚和之先生の1987年の論文「イギリスにおけるプライバシー保護法論」をまずは参考にさせていただきます。

http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/handle/10252/1714


これを読んでまず分かるのはヨーロッパ各国はアメリカに倣って「プライバシー権利概念」が確立してきたということです。しかしその事実は、プライバシー意識が遅れていたとは言い難く、その理由として個人主義文化が基本として育っていたことがあげられる、ということです。倫理的にプライバシーが尊重される文化がある程度育っていた、と言っていいのかもしれません。

イギリスには,「イギリス人の家は彼の城である」(An Englishman's house is his castle)という有名な諺が存在する。これは個人のプライバシーに対する尊重の習慣が,イギリスの伝統であることを示す言葉と理解することができる。


論文の最初に書かれている一節です。ドイツ、フランスなどの例を上げながら、20世紀の中盤にヨーロッパでもプライバシー権が議論されていることが紹介されてます。そして「データプライバシー」としての立法化が進んでいくと。興味深いのは、プライバシーの権利が「名誉棄損」の問題と別の権利であるとして議論されていたところですね。そのうち各国の詳細をもっと調べられたら紹介します。

W&Bの論文ではイギリスでの判決を幾つか紹介しています。つまりアメリカとイギリス含め欧州は相互作用を起こしながらプライバシーの権利概念が出来上がったと言えそうです。簡単にイギリス法廷で引用された4つの起訴案件をまとめます。その中で最も古い1824年の「アバーネシー対ハッチンソン事件」からになります。


引用元は全て石井夏生利先生の「個人情報保護法の理念と現代的課題」です。


★アバーネシー対ハッチンソン事件(1824年)

・概要
外科医のアバーネシーが行っていた口頭講義を、ハッチソンらは「ランセット」という定期刊行雑誌に掲載し販売していた。その行為に対して、出版、再販の差し止めを要求する。

・争点
1.財産権(著作権)に基づく差し止めが認められるか?
2.黙示契約違反・信託違反に基づく差し止めが認められるか?

・判決
申し立てを認める。
1.について:口頭での意見や言葉(紙に残らない)に対して財産権は未だ判断出来ない
2.について:契約又は信託違反を理由とするまさにこの申し立てに許可を与える。

「受講した生徒の側に計約違反があり、その生徒が営利目的で公開出来ないとすれば、その行為は確実に、当裁判所が第三者の詐欺と呼ぶものになる」
「これらの講義が、生徒から取られたものでない場合、少なくとも被告らは、裁判所が公開をゆるさないような方法で、公開手段を得て、講義内容を入手した」


信託違反は「breach of trust」の役とされています。現在のプライバシー権において「trust」は一つのキーワードになっていますが、財産権の救済法理として使用されていたのが分かります。


アルバート公対ストレンジ事件(1848年)

この判例をW&Bは最も論文内で引用しています。ヴィクトリア女王と夫のアルバート公は、趣味で線描やエッチング版画を作成していました。被告のストレンジは何らかの方法で版画を入手して利益を得たと。そしてこの裁判では何度か「プライバシー」という言葉が判決理由に登場しています。

下級審でのナイト・ブルース卿は以下のように言っています。

本件被告の行為は「無作法で著しい不法侵入」「家庭生活のプライバシーへの卑しい偵察行為」である


★タック対プリースター事件(1886年)

原告はロンドンの美術出版社で、芸術家から水彩画の著作権を購入。被告であるベルリンにある印刷事業者に2,000枚の印刷を依頼しました。この印刷事業者は他に多くの写しを作成し利益を得ました。


最初の争点は原告は1886年著作権を登録していて、被告が複写をおこなったのが1884年であった事でした。これは著作権のないものを複写して利益を得ることに対して救済をもとめる権利はない、との判決になりました。しかし上訴後の判例は違ったものになっていきます。その判決の中でW&Bが引用した部分です。

原告らが何らかの著作権を持っていたか否かにかかわらず、被告は、差し止め命令の責任を負う王位を侵したという関係があると思われる。彼は、一定数の絵の写しを作成するために、原告らに雇われた。そして、その雇用には、被告は自らのために、それ以上の写しを作成したり、その追加的写しを、雇い主と競争ながらこの国で販売してはならないいう暗示が、必然的に伴っていた。彼の側のそのような行為は、甚だ契約違反であり、甚だしい信頼違反である。そして、私の判断は、当該絵画に著作権を持つか否かにかかわらず、明らかに、原告らに対し、差し止め命令を求める権利を付与するというものだ


この意見には「信頼違反」というプライバシー権を考える時に現在重要である考えが入っています。


★ポラード対フォトグラフィック社事件(1888年)

原告のポラード夫妻は、写真やで家族写真の撮影をしたけれど、被告であるその写真やは、クリスマスカードとして原告の写真を使用して、利益を得ていたと。この判例は「肖像の無断利用」が問題となっています。

顧客と写真師の間の契約には、黙示的に、そのネガから取られる印画は、その顧客が利用するためだけに占有されるべき、という合意が含まれている。


これらのイギリスでの判例を論拠にしながらW&Bの論文は書かれています。これらを確認してみると、少なくてもイギリスでは財産権(著作権)が基本となってプライバシーが考えられてきたと言えます。そして財産権の救済として「信頼違反」という言葉がキーワードになっていたのが分かります。


※参考==============================

個人情報保護法の理念と現代的課題―プライバシー権の歴史と国際的視点 石井 夏生利 (著) 勁草書房 (2008/5/26)