プライバシー 伝統的権利 日本


日本では1961年の「宴のあと」裁判がプライバシーの権利をテーマとした最初の裁判です。
1960年に新潮社から単行本として刊行された小説は、政治家であった有田八郎と再婚相手をモデルにしたものでした。有田はプライバシーの侵害であるとして起訴し、プライバシー権を認めた上、プライバシーの侵害を肯定し勝訴することになります。この時の石田裁判長の判決は以後の日本におけるプライバシーに関する法的な礎となった、ということなので、大事な点をまとめておきます。

「私事をみだりに公開されないという保証が、今日のマスコミュニケーションの発達した社会では個人の尊厳を保ち幸福の追求を保障するうえにおいて必要不可欠なものであるとみられるにいたっていることとを合わせ考えるならば、その尊重はもはや単に倫理的に要請されるにとどまらず、不法な侵害に対しては法的救済があたえられるまでに高められた人格的な利益であると考えるのが正統であり、それはいわゆる人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではないと解するのが相当である。」


私事をみだりに公開されないという保証は、一つの権利と呼ぶことが出来る」とまとめています。


1.公表された事柄が私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある事柄であること(私事性)
2.一般人の感受性を基準にして当該私人の立場にたった場合公開を欲しないであろうと認められる事柄であること
 → 一般人の感覚を基準にして公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること

3.一般の人に未だ知られていない事柄であること(非公知性)


作家と公的な自分の間で争われたこの裁判ではプライバシーの権利をめぐって以下の問題が争点となっていました。
・芸術的価値
言論の自由
表現の自由
・公的存在


ここではこれらを否定する判決となりましたが、プライバシーを考える時、同時に考えなければいけないこととして上のようなものがあることは現在も同じです。


ただ、この後の裁判例は得にこの判例に従っているわけではないので、先例的な価値はそれほど高くない、としながら升田先生は次のように書いています。

この判決以前には、米国のプライバシーの権利に関する理論の紹介、発展の歴史、裁判例などが紹介されていたが、この判決によって日本においてもプライバシーの権利をめぐる議論が本格化したといってよい


米、欧州、日本と法的概念が本格化する最初を見てきました。「the right to be let alone」は伝統的プライバシーとして、自己の内面(心)や私事から意識が育っているのが分かります。また個人から考えた場合にその侵害の相手は、マスメディアである事例から多くがはじまっている事もまた確認できました。そしてアメリカでは国家による盗聴なども最初の次期に問題となっていました。


この後、プライバシー問題は情報通信技術の発展によって、現代的プライバシーとして「積極的プライバシー権」や「自己情報コントロール権」、またキーワードとして「データプライバシー」や「ネットワークプライバシー」などと新しい言葉が生まれるようになってきます。



※参考==============================
現代社会におけるプライバシーの判例と法理―個人情報保護型のプライバシーの登場と展開 升田 純 (著) 出版社:青林書院 (2009/10)