監視カメラとプライバシー 2

家を一歩外に出ると、駅、コンビニ、ATMなどいたるところに監視カメラが設置されている社会になりました。日本が「プライバシー」を国としてどう考えるか、という議論を目にすることなく監視カメラはあっと言うまに僕らの生活を映像にとらえるようになっています。
イギリスは現在市街に420万台の監視カメラが設置されていると言います。市街監視カメラの設置に関して世界のモデルケースとなっています。一方最近アメリカでは「政府が2020年までに3万機の無人機をアメリカの領空内に配備する法案を可決した」と報じられました。


日本では、2004年に杉並区ではじめて「設置および利用に関して」条例化されました。しかし国としては、なかなか監視カメラについての議論は行われていな現在だと感じています。
2009年に早稲田大学の西原ゼミの成果として「監視カメラとプライバシー」が出版されました。この内容はゼミ生が、フィールドワーク班と、思想倫理をまとめる班にわかれて監視カメラとプライバシーの関係にせまっていて、大変参考になりました。

プライバシーを考えることなく監視社会が出来上がっている。


防犯としても公共の場でのカメラ撮影は既に受け入れられている、とも言える現状に思えます。マンションの防犯化も進んでいて、これは僕の個人的な不動産を営む友人の話だけれど、部屋を探す時の条件としてカメラ必須の条件を出す人のほうが多いし、特に女性の8割はそうだと言います。そして監視カメラの設置はますます進み、僕らの生活を映像データとして撮り続けていくことになりそうです。


一部では「超監視社会がやってくる」など不安をあおるような書籍も出ているし、検索するとそういったブログも幾つかあります。しかしそれはほんの一部で、ほとんどの人は未だ監視カメラに関してしっかりと考慮出来ていないのではないでしょうか。


監視カメラによって大きく犯罪抑止、防止につながるのならば確かに必要なものであるでしょう。しかし、プライバシーという個人の尊厳が本当に守られているのでしょうか。設置する側は、カメラの設置に関して自由でいいのでしょうか。杉並区がやったように、条例化や規制の強化は必要ないのでしょうか。
西原ゼミでは監視カメラの規制について2点の問題点をあげています。

①自分の周囲のやっかいなモノを公権力の介入によって除去しようという発想につながる。
②条例化は逆にここまでならいい、という線引きをしてしまう。


①は僕ら生活者個人に対しての問題です。確かに公共の場での防犯はしっかりやってくれ、というのは簡単だけれど、自分たちで問題を解決しようという、市民的意識に悪影響を与えることになるのではないか、ということです。
②はここまでならいい、という設置者の理由を作ってしまうことになり、プライバシーの権利主張が出来なくなってしまうのではないか、ということでしょう。


設置者の倫理も、監視される僕らのプライバシー倫理も、同じ人間としての倫理観として育んでいく必要性を感じます。


※参考-----------------------------------------------------------------------------

警視庁:東京都における街頭防犯カメラシステム

監視カメラとプライバシー (西原 博史 (編集) )

イギリスCCTV(Closed Circuit Camera: 監視カメラ)事情 日立総研

米政府、3万機の無人機で米人を監視 Japanese Radio