ジェフ・ジャービスのプライバシー 3

コンテクストを考慮する
コンテクストはわかりにくく、意図を察することも難しいが、理解するよう努力するべきだ


シンプルで分かりやすく考えを述べたいのですが、プライバシーの場でコンテクストを考慮する事の大変さは今のところ僕には大変難しい問題です。引き続き「文脈の大事さ」も考えていきたいと思ってます。コンテクストは日本語で、「文脈」や「背景」と訳される言葉です。ここまで僕は「コンテキスト」とカタカナで書いてきたけれど、Wikipediaやジェフ・ジャービスを訳した小林氏にならって、今後は「コンテクスト」と書いていきます。


文脈とは何か?という事だけれど、調べていると文脈という言葉に自分自身もあまり慣れていない事に気がつきました。物語っていうのは、よく自分の言葉に出てくるけれど、「物語がないのはさぁ〜」はあっても、「文脈がないのはさぁ〜」っていう話言葉を僕は持っていません。「背景」は案外自信もって使ってる言葉かもしれませんが。。


この事は、たぶん日本社会に「文脈」が少ない事が原因である、と考えています。文脈が少なければ、特に「え?文脈が見えないけど?」と声にする必要はありません。ここでブログ記事を二つ紹介します。


山崎元の「王様の耳は、ロバの耳」


山崎氏は大手メディアには文脈が二つしかない。と書いています。
そしてそれは「事件報道」「政治談議」であると。


これは読んでみると腑に落ちる部分がとても多いのじゃないでしょうか。氏はディティールが失われている、と表現しながら一つ一つの出来ごとが文脈を持っているのではなく、メディアとしての文脈に、出来ごと全てをあてはめていると解説しています。そしてその文脈に慣れている僕らもまた、「あの人、○○だって」とか「うちの組織はこうだからね」とか、本来しっかり考える価値のあると思われる事を、事実で騒ぎ、組織談議で終わらせたりよくしています。

事実にいたる文脈が無視され、解決しない事が前提の組織批判を繰り返す。山崎氏の指摘は大手メディアだけでなく、僕らの日常にも蔓延しています。


小飼氏の文脈論


小飼氏もまた「文脈」ってなくね?と言った事をブログに書いています。氏は英語と日本語の文脈における違いを説明して、それは「あかの他人とどれだけ会話するか」であると。崩壊は進んでいるとは言え日本は村社会であるから、その言葉は身内言語であり文脈を共にしているという認識がある。「みなまで言うな」なんて言葉があるほど詳細を語るのは逆に失礼となる。粋じゃない。
小飼氏のブログもまたうなずけるものです。


コミュニティであれ、アソシエーションであれ、文脈を共有されているモノとして言葉を減らしていく努力をここまで進めてきた。四季を愛でるという文脈は、あえて語らなくても日本の風土では共有されるモノであり、あえてそれを語らない俳句。
間や寡黙な表情が美徳として尊ばれてきた日本の文化的背景は守るべきものも多くあるでしょうが、星社会ではまったく別の文脈が沢山あるので、文脈をちゃんと語るという文化も推し進めていく必要があります。


プライバシーを大事にする時、文脈を省略してはいけない、これは星社会におけるアソシエーションが文脈の多くを異にしているからだという事は既に理解出来る事です。


昔のアイドルはインタビューに対して、この質問にはこう答える、などアイドルという文脈の中で自分を語る必要がありました。
今のアイドルはテレビでも、平気で付き合っている彼氏や彼女の話をして、女性ならすっぴん写真をブログに公開したりしています。この事は文脈が個人にあるものである、という認識の象徴として言える事の一つでしょうし、政治家も政党の文脈をこえて、個人が評価されるようになってきています。この人は自民党だからこうだ、民主党だからこうだ、と言えなくなってきている。個人の文脈が大事になってきている事は、文脈ぬきのプライバシー情報は危険であると言えます。


今話題の国歌斉唱の時、歌わなかった先生に対する報道なども、先生の文脈も、橋下市長や校長、さらには教育委員会の文脈も、全ての文脈は無視されて、いい、悪い、やっぱ橋下は的な、大手メディアと同じような表現がソーシャルメディアにも溢れています。「コンテクスト」の考慮って特に日本語だと大変なんですよ。ネットが一般化するまで裏を取るなんて僕らは簡単には出来なかったし、裏をとったところでそれを表現する訓練を受けてもいない。どちらかというと文脈を表現しない訓練を受けてきた。

「古池や 蛙飛びこむ 水の音」
これで芭蕉の文脈を理解出来ちゃう気がする、さらに感動したり関心したり出来るなんて日本国民はすごいな、と思うわけです。
「分かってるからみなまで言うな」

サービス提供者の立場で「コンテクストを大事にする事」を考えるとしたら、サービスに必要なプライバシー情報が、それぞれ一つずつ何故なのかという情報を受け取る必要性と、その情報を使用する時に文脈を無視しない事を約束すべきだし、使用する事の必然性をこれもまた文脈を省略せずに説明する事でしょう。「これはみんなやってる事だし、そういうもんですよ」「当たり前じゃないですか」「何か問題ありますか?」なんて言う文脈同調というのはネット社会では通用しないのです。


ジェフ・ジャービスは自分が大人用のおむつをつけている事を告白しています。コンテクストの大事さを語るにあたり、その事を次のように書いています。

もしあなたが誰かに僕が大人用のおむつをつけている事を話すならば、僕に変な趣味があると思われないように、前立腺癌の手術でそうなったという事情も語ってほしい


情報発信者として僕らが情報主体者に対する倫理もまた「○○はいいかげんだからダメだ」「○○は生意気だ」なんて言い方は、既にそのまま名誉棄損だと考える時代だと思うし、他人の評価を文脈を無視して人に語るべきでもないでしょう。二人の間に愛情や友情が文脈として明確な場合は別かもしれませんが。


コンテクストが大事であるというのは、人や組織について語っちゃいけない、語るのが大変な時代だ、という話ではありません。逆に文脈理解に努める作業と、自分の考えは積極的にみんな語るべきだと思ってます。せっかくそんな人類未踏の時代が到来してるのだから。